有限会社ホームネットHD代表取締役 濱中康大のたのしい事、うれいし事、美味しい事、悔しかった事・・・

尾道の原点に返ろう

「尾道の原点に返ろう」

これは、昭和50年、住友銀行(現三井住友銀行)伊部恭之助頭取が、当時ある不良債権問題を収拾しようとしたとき、国内、外の責任者に発した言葉らしいです。

尾道って昔は、商業、金融の街だったらしいです。ほんとかなあ?

住友銀行と尾道は、実は古くは、密接な関係があったのです。

住友家が銀行を興ずるきっかけになったのは、当時の住友家「上村」尾道支店長の呼びかけにより、明治28年に第一回住友家重役会議、後に「尾道会議」と呼ばれた会議によるものだったらしい。

そして、明治28年11月1日に住友銀行が創業され、なんと初の支店は明治28年12月1日に尾道に出店されました。

尾道は、その昔は九州、四国と阪神を結ぶ航路の物資調達の要衡の地として栄えた街だったようです。
古くは、室町時代には、足利尊氏は戦いに敗れ、京都から九州に下る際、尾道に立ち寄り、また、京都に攻め上がる時にも尾道に立ち寄ったとか。

言わば場所が良かったということなのでしょうか?

やはり、「商売?」は、
・場所
・時代
・人
なのでしょうか?

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日記のススメ

僕は、日記をこのブログという形を使って付けておりますが、これが驚くほど多くのことを気づかせてくれました。

まずは、自分の語彙の無さ、文章力の無さ、そして、話題の無さ。

私は、今までクライアントや、同業者の方々のもとへご挨拶に行った時に何を話していたのでしょうか?

しかし、良かったこともたくさんあります。

・仕事がもらえました。
・友達ができました。
・知らない人から「ブログで拝見させていただいています。初めてお会いしたように思いません。」となれなれしくされます。でも、それが嬉しいです。
・この間は、久しぶりにお会いした親戚の叔母様から「いつも、見てるよ」と言われ、本気で照れてしまいました。宇田のおばちゃん、いつもありがとう!また、先日はお世話になりました。
・色々な事を考えるにつけ、不明確だったことが少し明確になったりもしました。
・飲食店の宣伝をして、そのお店の方に大切にしてもらえました。
・昔の友達から、突然メールがもらえました。

いろいろ、あります。

もちろん、立場や職業によってメリット、デメリットはちがうでしょうが、ブログは楽しいものです。
是非、実名でやりましょう!!

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吉和太鼓踊り

尾道の西側、海沿いの地域を吉和といいます。私の生まれ育った街です。
そこに室町時代から伝わる「吉和太鼓踊り」という祭りがあります。
毎年、8月に2日間ほど行われていて、今年は何十年ぶりに見る事ができました。
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それは、阿波踊りのような、テンポ感や、賑やかさはなく、なんともゆる~い感じなのですが、それがまた尾道らしくていいんです。
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朝から、町中を練り歩きます。こんな細い路地でも踊っちゃいます。なんとも絵になります。来年はカメラを持って帰って撮ってみます。
よく、「絵の街、尾道」といいますが、「絵になる街、尾道」のほうが近いかな。

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みなさま、ありがとうございました!!

先日の母の通夜、葬儀には多くの方々にご弔問いただき、またお花、弔電を賜り、誠にありがとうございました。
賑やかな事が好きだった母ですので、きっと喜んで旅立った事と思います。

初七日法要も終わり、今日から通常とおり仕事にもどりました。

母が亡くなった事は、ブログに書こうかどうか迷ったのですが、このブログを見ていただいている方々にもたくさんの、励まし、お心遣いをいただいたので、まずは取り急ぎお礼までと思い、書くことにいたしまた。

母との思い出や、母から教えてもらったことは今後ゆっくりと書いていこうと思いますが、今回、通夜、葬儀を終えて思ったことは、

「死に様が、生き様」

ということでしょうか!

母は、お節介なほど人のお世話をする事が好きな?人だったので、弔問していただいた方々のほとんどが「ありがとう、ありがとう」と母との別れを惜しんでくれました。
そして、その地域では記録的な弔問客数でした。

手前味噌ではありますが、偉大な母であり、「人」でした。

カッコいい「母ちゃん」でした。

みなさん、この度は本当にありがとうございました。
また、今後ともよろしくお願いいたします。

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「博多串焼き・もつ鍋 よだれ屋 渋谷桜丘町」レセプション

弊社でHPの管理をしているYDRさんの新店舗「博多串焼き・もつ鍋 よだれ屋 渋谷桜丘町」のレセプションに行って来ました。

今回は、ロゴのデザイン、DM、ショップカード等の制作でお手伝いしまいた。

ご馳走様でした。

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やっぱり串焼きは、カウンターで食べたいです。

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YDR社長、大村孝雄さんを囲んで、左から、内装デザイン会社「スタジオムーン」金子さんチームと、中央タカオさん、ガチャガチャもも吉岡村良太君、よだれ屋常連ギャルズ!

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外から、中2階を見上げるとこの提灯が目印です。わたくしデザインさせていただきました。

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左、この日はお手伝いに来てた元よだれ屋渋谷店店長の洋平君、10月に吉祥寺で晴れて独立開業予定!がんばってね!右、桜丘店店長寛君!いい男です!がんばってください。



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尾道ではこう言います

尾道というか、その中でも私の出身地域は「吉和(よしわ)」と言いまして、漁師町で多少、ガラの良い?所なのですが、方言も結構凄いものがあります。

子供のころ近所でいたずら遊びをしていると、近所のおばあちゃんやおじいちゃんに、

「このクソダァーコボ!そこで何シャーガリョンニャ?ソギャーナ事して、キャーなりゃせまーが、オーキューなったらナンギューしょうど!!」

ええっと、微妙なイントネーションをお伝えできないのが非常に残念なのですが、和訳?しますと、

「このクソガキども、そこで何やってんだ?そんな事してどうするんだ?(何のためになるんだとも解釈できます)、大きくなったら苦労するぞ!!」

となんともありがたいお言葉なのです。

そういわれても、キッズはやめる訳もなく、

「ジャカンシー、くそババー」

と、僕は言いませんでしたが、友達が言ってました。

尾道(吉和)弁講座でした。

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尾道の事教えちゃいます!

ここのところ、実家の尾道に帰ることが多く、その際に尾道に関する記事を書くと、アクセス数が普段の1.5倍位になります。

この現象、素直に魅力ある尾道ゆえと解釈し、尾道記事をなるべく書いて行こうと思います。

しかし、私は東京在住、尾道には18歳までしか暮らしておらず、それから早20年が経過しています。今の尾道のことに関しては観光客同然。
今の尾道を紹介するのではなく、僕の中の尾道を紹介していきます。

ちょっとがっかりしました?

「尾道」いい名前だと思いませんか?
由来は、ご想像通り、尻尾のような細くて、長い道が多い街という事からです。目の前は「海」、背中は「山」。ちょっと長崎に似た感じです。(だからか、私は長崎出身の方とは気が合います。)

その昔、どの時代かは分かりませんが「鶴湾(つるわん)」と呼ばれていたらしいです。目の前に広がる尾道水道(川のような海です)が、「鶴」が羽を広げた時の形によく似ていたかららしいです。どちらにしても細長いということです。

「鶴湾」もいい名前ですね。

ところで尾道の方、コメントちょうだいやぁ!!

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青い空は~青いままで~

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「青い空は~青いままで~子供らに伝えたい♪」
この歌ご存知でしょうか?
ご存知ない方、今日は何の日かご存知ですか?

そうです、「新広島球場竣工記念日」!

では、ありません。「広島原爆記念日」です。

63年前の8/6、朝8時15分に広島に原爆が投下された日です。
私の出身地の尾道は広島市内から80km以上も離れているので、その影響はありませんでしたが、身内に一人被爆してしまった叔母がおります。

幸いその叔母は、爆心地から少し距離があったのと頑丈な建物内にいたお陰で焼けどなどの外傷は負わずにすみました。
63年たった今でも健在です。とっても、明るく、楽しい叔母です。

小さい頃から、私はその叔母に何度も原爆のことを話してもらいました。その話を少し紹介させてください。

当時16歳だった叔母は広島市内の軍需工場に勤めていたらしいのです。
なんでも、軍需工場はやはり敵国から狙われる可能性が高いので、他の職場より給料が良かったらしく、お金に目がくらんだ?叔母はそこに就職したらしいのです。

そして、あの日原爆は投下されましたが、さすがに軍需工場だけに鉄筋コンクリートの建物で、その中にいたので無傷ですんだらしいのです。もちろん放射能はたっぷり浴びてしまいました。そして、それが63年たった今でも叔母の体を苦しめています。

建物から出た叔母は、一瞬にして散々たる地獄絵図に変わってしまった街を見て、「とにかく、実家の尾道に帰りたい、早く帰ろう」と思ったという事でした。

もちろん、車なんぞあるわけもなく、電車だって壊滅状態です。道だってないようなもの。
歩いて帰るしかありません。

真夏の炎天下の中、80数キロの道のりを約1週間かけて歩いて帰ったらしいのです。道中、広島の「ピカドン」から逃げて来た少女を農家の方々は優しく受け入れてくれて、ご飯を食べさせてくれたり、家に泊めてくれたらしいです。

広島に「ピカドン」が落ちたことを知った尾道の実家の家族は、「みんな死んでしまった、生き残った人などいない」と聞かされ、すっかり叔母のことは諦めていたらしいです。

そして、1週間後、叔母は見事に生還しました。
そのときの叔母や家族の喜びは相当なものだったに違いありません。
多分、抱き合って喜んだのでしょうね。

幸い外傷はなく、きわめて元気に帰って来た叔母ですが、それから何年か経った後、さまざまな原爆症に悩まされる事になるのでした。

被爆者の方々の、癌発症率はそうでない方の数倍と言われます。違わず叔母も3度の癌を経験しています。
そして、肝臓にも障害を持ち、毎年、年に数回の入院治療をしています。かなり痛みをともなうものらしいのです。

このように、私は身内に被爆者を持ち、生の声を聞いて育ちました。

原爆、戦争というと昔の話、他人の事と感じてる方々は結構いると思います。
でも、実は本当にすぐ近くにあるものです。もしかしたら自分だったかも知れないと私などは感じます。

幸い?私は叔母から貴重は話を聞く事ができましたが、その叔母ももう80歳です。残念な事ですが、普通に考えればもう数年で亡くなる可能性が高いです。多分、私の子供たちは理解できる年齢には、直接叔母から原爆の話を聞く事はできないでしょう。

わたしは、子供たちに8/6には叔母の話をしようと思います。これは直接叔母から原爆の話を聞く事ができた私の義務だと思います。そして、戦争のない世の中になるよう願い続けたいと思います。

昨今、国際協力という名の下、「戦争参加、協力、支援」など恐ろしいことを話あって、それに合わせた憲法改正、法律制定などの話題が国会をはじめ、いろいろなところで話合われています。

「もう忘れちゃったんですか?頭悪いんですか?記憶喪失ですか?」

私は言いたいです。

多くの人が悲しんで、苦しんで、今なお苦しんでいる人の事を思い出してください!!

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不動さん、頑張ってくれ!

女子全英オープン、現在、不動さん1位タイ、藍ちゃん3位タイ!
みなさん10チャンネルで、ライブやってます。
応援しましょう!

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我が生家

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18まで過ごした我が生家です。
築50年以上だと思います。
もう既に傾いてるようで、ちょっと危険です。
今は、大好きな尾道の町ですが、ここに住んでいた20何年前、田舎が嫌いで早く東京に行きたいとずっと思ってました。まさに憧れの「花の都、大東京」でした。
中央のキッズは、ブログ初出場の我が長男です。
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この路地で、兄や近所の幼馴染みとよくキャッチボールをしました。軟球バッカバッカ、かっ飛ばしてました。凄く危険です。何枚ガラス割ったのでしょうか!
しかし、僕の子供の頃は危険な遊びたくさんしてたけど、大人たちは全然止めようとしなかったなあ。

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